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ご無沙汰しております


お久しぶりです。
皆さま、お元気でしょうか。
最近、全然更新してなくて、申し訳ありません(><)

私は変わらず元気にやっておりますのでご心配なく!
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新年のご挨拶
三が日もとうに過ぎましたが、あけましておめでとうございます!
更新もなかなかできませんが、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

そうそう、最近、mixi を始めました!
もしやっておられる方がいましたらマイミクになりましょう♪
大阪史跡巡り 2011/12/04
先日、みちこさん主催の大阪オフ会に参加させて頂きました!
大阪史跡巡りは2回目。今回も初めて知ることが多く、とても勉強になりました。

>史跡巡りコース

真言坂―生國魂神社・八軒屋常夜灯―川崎孫四郎ら墓―齢延寺―源聖寺坂―
萬福寺・新選組大坂旅宿跡―口縄坂―稱年寺・小松帯刀墓跡・陸奥宗光墓跡―
四天王寺・高橋多一郎墓・乾十郎顕彰碑―(安居神社・真田幸村最後の地)―
一心寺・会津藩墓地―(天王寺駅)・・阪堺線・・
住吉神社・土佐藩常夜灯・薩摩藩誕生石―三文字屋跡―土佐藩住吉陣屋跡




谷町9丁目駅からスタート。
まず最初に生國魂神社へ行きました。
こんなところにあの八軒屋常夜灯が移されていたというお話を聞いて驚きました。



稱念寺・陸奥宗光墓跡。
右の画像の清地蔵は二十歳で亡くなった陸奥 宗光の娘さんの等身大
なんだそうです。



四天王寺に建てられている、高橋多一郎墓・乾十郎顕彰碑。
乾十郎は勤王派の医師で、天誅組に加わり、後に捕縛され京都の六角獄舎で
処刑されました。また、坂本龍馬や陸奥宗光とも知り合いだったようです。




一心寺では、会津藩墓地を見ることができました。
大阪でこれだけの武士のお墓あるのは珍しいとのことです。
大阪滞在中、新選組は萬福寺、会津藩は一心寺を本陣にしていました。



最期は、路面電車に乗り、住吉方面へ。
住吉大社、初めて行きました!
さすが、国宝とあって、素晴らしかったです。

…と、まだまだほんの一部ではありますが、今回の大阪レポはここまで。
申し訳ありません! 書ききれなかったところは、また、別の機会にUP
しようかな、と思います。

みちこさん、いつもオフ会にお誘い頂いて、ありがとうございます。
また、大阪ボランティアガイドのOさんの素晴らしい説明に感謝致します。
そして、ご参加された皆様、ご一緒して頂いてどうもありがとうございました!
また、次回も楽しみにしております。
秋の京都史跡巡り~幕末編その②
木戸孝允邸を後にし、続いて、丸太町付近まで歩きました。
この辺りは、「三本木花街」と呼ばれていました。
現在では、閑静な住宅街になっていますが、かつては旅館や料亭が
何軒かあり、芸者が出入りし、花街として栄えていました。



頼山陽の書斎である「山紫水明處(さんしすいめいしょ)」は現在も保存されています。
事前申し込みをすれば比較的、簡単に中を見学することができるようです。



立命館草創の地碑がある場所には、幕末当時、吉田屋という旅館がありました。
吉田屋は攘夷派の密会の場でした。新選組も踏み込んだことがあるとかないとか。
それから、薩土盟約が結ばれたのもこの吉田屋でした。

三本木といえば桂小五郎と幾松ですが、近藤勇と深い中にあった駒野も
三本木の芸妓だったそうです。



「十津川屋敷跡地」
この辺りは何度か歩いたことがあるのに、こちらの石碑は初めて見ました!
十津川郷士は、幕末になると勤王の志士になるものが多かったようです。
また、一部の過激派は新政府の近代化政策に反発して、横井小楠暗殺事件を
起こしています。



「横井小楠殉節地」
優れた開国論者は次々と攘夷派によって暗殺されていますね。
佐久間象山もそうですが。。
★横井小楠については、過去の日記をご参照ください→こちらです♪

ということで、秋の史跡巡りはこれでお終いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
秋の京都史跡巡り~幕末編その①
前回の記事の続きです(・∀・)ノ
今回のオフ会で一番楽しみにしていた、木戸孝允旧邸・達磨堂です!



達磨堂は、木戸孝允の子息・忠太郎のだるまコレクション陳列堂として建てられました。
中に入ると、本当にだるまだらけで驚きました…!



木戸孝允邸跡

勤王の志士・桂小五郎としても知られる木戸孝允の邸宅跡で、現在は二階建ての建物と
「達磨堂」のみが残っています。現存する二階建棟は、江戸後期まで遡るものとされ、元は
近衛家下屋敷「河原御殿」だったといわれるものです。大正12年に達磨堂を新築し、
同時期に邸全体が改築され、建物の他の部分は移築されました。
大きな丸庭のある一階が10畳一間、二階が6畳出床に三畳次の間からなり、邸宅に付属
する茶亭のような建物であったと考えられています。長押を打たず、棹縁天井の簡素な
座敷で質素ともいえる材の質や意匠は、京都御苑に残る九条家の遺構「拾翠亭」に通じる
近代後期の公家邸遺構の傾向を示すものです。 (頂いた資料より)

私、ここは知りませんでした。普段は非公開とのことで、今回初めて入ることができ、
本当に感激いたしました!
また、1877年、5月19日には明治天皇が病気で療養中の孝允を見舞われたそうです。
そして、26日に京都で亡くなりました(病没)。

この場所で亡くなったのかと思いましたが、実はそうではないようです。
病人の孝允がこの広い邸宅ではトイレなど行くのに不便なので、おそらく、近くの病院に
いたと、ガイドさんが説明されていました。
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